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​ピサロ

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​Jacob Camille Pissarro

1830~1903

私の名はピサロ。

私は「第一回印象派展」にモネとともに仲間づくりに奔走した。

当時は「印象派」などという名称はなく「画家、彫刻家、版画家による共同出資会社”第一回展”」という展覧会名で開催した。

当時44歳と年長でもあったためこの会のリーダー的な役割になってしまい、参加者をまとめるのには苦労した。

 

そのためか今日でも印象派画家の一人として名を連ねている。

それまではサロン(官展)にも出品していたのだが、どうもアカデミックで古典的な考え方には疑問を感じていた。そんな折、モネやシスレー、ルノワール、ドービニー、クールベなどと知り合い互いに影響しあう関係となっていった。特にセザンヌと知り合えたのは大きな収穫であった。彼は少々気難しい人物で他の画家たちとはあまりうまくいかなかったが私とは馬が合った。

 

辛辣な批評と皮肉の多いドガもそんな気難しい人物の一人であったが私の話はよく聞いてくれた。二人とも「第一回印象派展」に作品を出品してくれた。

 

結局、この会には30人以上もの作家が160点ほどの作品を出品し、多くの観覧者を集めたのだが経済的には失敗した。

理由は、会費を払えばだれでも出品できる会の方向性に一貫したものがなかったという事だ。作風はみなバラバラであった。

したがって、一部の作品には好意的な論評もあったが多くの作品は低評価であった。

 

それでも雑誌などでは「新しい風が吹いた」などの評価もあり、会を続けてゆく原動力になった。2年後の1876年には第2回印象派展を開催したが、この時には資産家の画家カイユボットも参加してくれたので運営も若干の黒字を計上した。この「印象派展」は第八回まで続いた。私はその全てに出品した。

いや~、とにかく「印象派展」の運営には苦労したよ。

もしよかったら、私の絵を1枚買ってくれんかな~

​第一回印象派展に出品した「霜」

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私はこの作品を含めて5点出品した。この作品を観てある批評家は

「いったいこれは何だい?」と叫んだ。

「畝に降りた霜だって」

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